(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
トップへ戻る

5月25日森田君から電話が来た。
28日金曜日に八王子市民活動センターへ
再度行くことになったと言う知らせだった。
吉岡さんからは何度かメールが来ている。
いくつか車いすを送るルートを見つけた知らせだった。
ただアジアへ車いすを送ると言っても、輸送コストはどうするのか?
誰が負担するのか。税関でお金がかかってしまうこともあるという。
簡単にことが運ばないのではないかという意見も含めたメールの内容だった。

「吉岡さんからのメール」さて、車いすの件ですが、取り急ぎ、思いつく事を挙げさせていただきます。
その上で、先方のご意向をお伺いしてその先の動きを考えたいと思います。
方法は大きく分けて二つあります。
(1)車いすをアジアに送っている団体と連絡を取ってその団体に車いすを寄付して送ってもらう。団体は私が探して話をつける事ができます。こういう活動をしているところは結構あります。ただし、送料もちゃんとつけておくってあげるのが原則です。方法としてはこれが一番手間いらずですが、継続性に問題があるかもしれません。また、既存の団体に車いすを寄付するだけですから、その方がどれほどの参加意識や達成感をもてるかも疑問です。

(2)自分で全てやるこれは大変です。しかし、車いすを整備して集めておくところまで出来ているのですから、仕事は半分出来たのと同じです。受け入れ先は私がお探しすることもできます。あとは送ることだけと、いいたいところですが、これが案外とやっかいです。送料よりも受け入れ側の税関の問題が大きい。なにせ、途上国ですから、税関職員はみんな袖の下で生活していると言っても大げさではありません。税関を通して貰うため、たっぷり袖の下を用意しなければならないという問題があります。そこで、相手国の行政機関、(市町村をしていしても良いでしょう)に受け入れ要請をして貰って、公式の国のルートで送るという方法があります。外務省が行っているリサイクル無償という方法送料は国が負担、通関もやってくれる、はず)ですが、問題は双方ともお役所のため、やりとりも大変、仕事も遅いのが難点です。もちろん、わたしも外務省のルートがありますから、サポートをして差し上げる事は出来ますが、体力もない、時間もないということでは、少々不安です。方法はいくつかありますし、人脈もありますが、問題はその方がどれだけ動けるかでしょう。誰を紹介するかはその方の希望や現状をもう少し詳しくお伺いしてからになりますが、上記のような一般論を先ずはお伝えいただけるでしょうか。その上でさらにご質問がある場合やもっと詳しい話を聞きたいおっしゃる場合直接お話をお伺いしていも構いません。以上で、取り急ぎご返事とさせていただきます。
 
吉岡

このようなメールが21日の話し合い後
わずか3日後の24日に届いたことに、感謝と感激をする私でした。
更に追加メールが届いた、アジア諸国へ車いすを送って、
実績と成果を出している団体の話でした。
空飛ぶ車椅子という団体で老人ホームから出る廃棄処分される椅子を
効率良く工業高校で修理して送り、
その後どのように使われているのか、確認までしている、
内容的にも充実しているボランティア団体でした。
森田君のイメージに近い活動内容ではありますが、
彼の考えは子供用の車いすというコンセプトが付きますので
新しい発想でのNPO立ち上げ活動として進めることに、
なんら変更はないと思いました。

5月28日八王子市民活動センターへ森田君が行き
その話を持って早速、茶の子に寄ってくれた。
こちらでは、またまた建設的な話が展開されていたようです。
吉永さんはカンボジアで学校を立ち上げた実績のある人物で
カンボジアに送ることはいつでもOKだと言うことです。
更に一人の人物を紹介された森田君でありました。
その人の名は片野智之、やはりこの人も
NPOを設立している人でありました。

八王子協議会での話会いの内容は
森田君の文章で紹介いたします。

八王子市民活動協議会へ向かう。
おっと、手ぶらというのはまずいなあ。
私はデパートの食品売り場へ急いだ。 
5月というのに汗がにじむほど暑い昼下がりだった。
そこで冷たいプリンを買って、目的の場所へ。
「吉永さん、どうもー」(森田)
とてもいそがしそうなので、プリンをさっと渡した。
「だめだよ!こんなもの!でもありがとう!」(吉永)
なかなか冗談のわかる方と感じた。とても波長が合う。
しばらくすると、2時に待ち合わせた片野さんがみえた。
背が高く温厚なエリートと言う感じ。
お話を伺えば、やっぱり経歴がすごい。
某家電メーカー勤務中に、海外生活20年のつわもので、
仕事で勤務していたのは、ベルギー、タンザニア、マレーシア。
うーん、国際派だあ。ひるがえって私の職場遍歴は、
水道橋、市ヶ谷、新宿、福生と純国内派。「おい、だいじょぶか?」
と自問してしまった。
だって、老いるにしたがって「山にひきこもり」しているし。
「まあ、どうぞ」(吉永)
座るや否や饒舌なかたで内容が楽しすぎる。
立て板に水とはこのことだ。私も会話はなめらか
かつ明瞭を自負するが、上には上がいるんだな、これが。
「社内公募78名の中から選ばれ、
海外赴任になりまして、世界各地を・・」(片野)
小冊子は片野さんの海外レポートのようで、きちんとまとめられている!
さらに、マレーシアにおける写真十枚ほどお持ちになっていた。
「マレーシアの養護学校の実情はどうなのでしょうか」(森田)
片野さんはすでに養護学校で介護実習を行っていた。
対象は中学生という。
「私の実習を行った養護学校は、生徒数200名で、
資産家が私財を投じたものです」(片野)
立派な志を持った人がいるんだと感心する事しきりの私。
写真の子供は大人用の車いすに座っている。
「車いすは学校内だけで、家に帰るときはないんですよ、
まだまだ不足していましてねえ」
日本の子供は自分の車いすがあるのに、マレーシアには無いと言う事実。
サイズもあっていない。
障害者用のコンピュータも不足していると言う話でした。
ここだ!と直感し興奮を隠せない私は
具体的な送料の負担について水をむけると
   「先方で負担してくださるでしょう」
あっさり関門突破。拍子抜けするほど、あっさり語られ、
森田肩透かしで土俵外へ。
「実は私は茨城県でシニア対象の自分の家を開放していまして・・・」
「えー、片野さんまだ他にもあるんですかあ!」と驚いて口が閉まらない私。
「一千坪ほどのところで、畑を耕したり、
今度皆で梅の収穫しようというところなんですよ、
皆さんのびのびと自由にしてますわ」
実に痛快な豪傑です。恐れ入りました。
懐が深く、国際派の片野さん。
型破りで、実に尊敬できる!私は初対面でほれました。
楽しい暮らしを提案できる達人でした。
  森田祐和  

幡垣
だいぶ話が進んだみたいで、おどろいた!

森田
世の中には凄い人がいるもんだよ!


車椅子の送り先はたくさんあるようだから、君の考えは
ホントにグッドな考えであったということが、証明されたわけだ。
今後送り先についてはどのように考えてんのよ?
車いすの集まり具合によって、
送るルートを決めようと思う。
取り合えず数台が集まったとして、
先ず実績作りに
送るんであれば吉永、吉岡経由で
送ると言うの良い考えだと思う。

選択肢を考えるほどになるとは予想もしなかったね。
基本的には単発で終わらない組織作りが
もう一つの仕事だよな!
車いすの確保も本格的に考えよう。

わかくさおやじの会にも話をして、
昭島支部を創らないといかんな。
福生本部も出来ないうちに
昭島支部か、はえ〜

だから福生を中心に組織づくりに
のりだしてくんね〜とな!
あ!そうそう前に立川の人で、
もりっちゃんの考えに
賛同してくれてる人物がいるって言ってたけど
自営業者なの?
看板屋さんで俺たちより少し年上だと思う。
じゃ〜その人と今度三人で
一度会う約束をしよう。

そんで話は戻るけど、もう少しマレーシアの
活動を聞かせてくれ。
先ず写真があるから見てくれ!



左上左から二人目の人が片野さんで
右端の人がマレーシアで個人で
養護施設を開設している・・・さんだ!

個人で施設を創設して活動しているのか、
何で日本のマスコミは
こういういい人を紹介せんのかな〜
悪い報道を同じ映像で何度も流す暇があったら
こういう話も取材しないといかんよな!
片野さんは現地でも
相当活躍されているみたいだ。
出来ればこの施設をメインに
送ろうと思っているんだけど・・・

いいんでね〜の。
右上の写真、養護施設の子が
大人用の車いすに乗っているだろ。
あれだと自分で操作もできないんだ
しかも車いすを使用出来るのは
施設に登校している間だけなんだ。
障害児にとって車椅子は自分の
足を手に入れたという感じで
健常な子供だったら初めて買って貰った自転車に乗るような感じかな!

なるほどそういうことなんだね!

マレーシアの個人ボランティア活動によって
運営されている養護施設。

片野さんが一度マレーシアに行きなさいって。
現地で様子を見るのも活動の一つだってよ!

俺たち零細自営業者は現状では難しい話だけど
将来NPO財団として費用を組織で負担して
誰かに現地へ行ってもらえたらいいね!



6月5日(土)立川在住の藤川公宏氏を
交えて三者で初の話し合い!


   幡垣と藤川氏

午後7時三人は茶の子に集合、
お互いの自己紹介を交えながら雑談混じりの話から・・・
更にここまでの経緯を織り交ぜて話す森田、幡垣。

気持ちがうち解けたところで藤川さん自信のことに
話を振る森田君
藤川さんは年齢よりもかなりお若く見え、
長身ではつらつとした方でした。
お仕事は光明社という総合広告会社の
社長さんで創業40年を越え
信用第一にして、堅実なお仕事をなさって、
この時代を生き抜いてきた方のようです。
仕事の内容は看板屋さんと言った方が
早いかもしれません。

現在9人家族の大所帯で、食事後の洗い物は
自分でかたづけたり大きな掲示板があり
自分のスケジュールを書き込み、ルールを守りながら
みんなで楽しく暮らす、最近では少なくなった
ホームドラマ系家族だそうです。
そのようなこともあってか、家族は体育会系のようです。
そのかたわら、人権擁護委員、自治会会長
、更に老人ホーム慰問などボランティア活動も
数多くこなしている自称じっとしてない人だそうです。

森田、幡垣は爆走タイプですので
少しブレーキをかけてくれるおじさまが
側近について下さり、心強くバランスの取れた
組織創りが出来そうです。
さて!車いすを送る台数に際しての議論がメインになり
5台ぐらいから定期的に送る方法が
良いのではないかという意見で一致いたしました。

今回は初顔合わせと言うこともあって、
お互いの意思確認を確かめる
ことで話は終了いたしました。
これからいよいよ組織作りに入っていきます。

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
トップへ戻る